2005/05/10

日本もこれくらいやってもいいのかもしれない。


ベルリン市民、不戦誓う・終戦60年で記念集会(Nikkei Net)

とか、思う。
最近の、中国とか韓国での反日運動とか聞いてるとね。



作家の田口ランディのblogの記事にあったんだけど、勝手に引用してしまうと、

「戦争というのは、その責任を誰かが死をもって取らなければいけない。中国人はそのことをより強く思っている民族だと思う。中国の歴史は戦いの歴史だからね」
「死をもって?」
「そう。とにかく戦争が終わったら負けた方はその責任を誰かに取らせて、死んでもらわないと困る。そのための裁判も行われて、日本でも戦争責任をとってA級戦犯が亡くなった。戦いというのはそういうものなんだ。決着をつけるために生け贄が必要だ。それは日本において行われなければならない。中国共産党は中国で捕虜になった日本兵を死刑にしていない。おとしまえは日本がつけなければいけなかった」
「怖いね……」
「それでお互いが納得するためだ。仕方がない。だけど、日本はそのA級戦犯を戦後しばらくしてからいきなり靖国神社に祀ってしまった。それ以降、天皇陛下は靖国参拝をやめた。それなのに日本の政治家は参拝を続けている。中国はそのことに腹を立てている。おとしまえのために死んだ人間を、英霊として祀っていては反省したことにならないだろう」
「なぜ……、そんなことが?」
「さあね。生き残った人間の罪悪感か、あるいは怨霊への恐怖か……。とにかく、戦争責任は誰かがはずれクジを引いて取らされた。そういうものだからね。生き残った側の人間やその子孫には引け目があるのかもしれない。戦後に金持ちになった連中だ。でも、そのことが今回の引きがねになっているのだから、戦後の平和のために責任を取らされて死んだ人間はまったく浮かばれない」
 案外と、中国が言っている歴史認識の意味は、戦争で何をしたか……というよりも、戦後に何をしたか……、なのかもしれない。


なるほど、そんなものかな、と思う。
でもそれじゃぁ、小泉首相が靖国参拝やめただけではおさまらないだろうけど。


戦敗国として、日本もドイツも、謝罪も賠償も行ってきた。
ただ、印象としては、ドイツは様々なレベルで繰り返し行ってきたのに対して、
日本は、やはり煮え切らないというか、なんとなく他人事のように扱っているという感もある。
"敗戦記念日" じゃなくて "終戦記念日"だもんね。
まぁ、フランスやイギリスが"大人"だったと言うか、ほかにも色々あって、
あんまりそこら辺のことを引きずってる場合ではないとか思ってたのかもしれないけど。

中国側は、日本は歴史問題を直視するべきだとか言ってるらしいけど、
中国も歴史問題わ直視するべき点があるだろう。
天安門とか、チベットとか・・・。
そこらへんどう落とし前をつけるんですかねぇ?
ん?話がずれたなw

と、いうことで、日本もなんかこう、
世界的に戦争に対する謝罪をアピールするような何かがあってもいいのかな。
そうすれば、少しは中国とか韓国とか、静かになってくれるかもしれないね、と。


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