昨日で震災から二年. 一日過ぎてしまったけど,備忘録的に.
2011年3月11日
当時はもうドク論も提出して,ミュンヘンに行くことも決まっていて,その準備をいろいろしていた頃だったかな,と. 地震の瞬間は研究室の自分の机でなにか作業をしていて,揺れが来た瞬間にすべての電気系統が落ちて, かつなかなか揺れが止まらなかったのを覚えている. モバイルバッテリーと携帯電話のワンセグが大活躍だったことも印象深い.
個人的な影響は,学位授与式が中止になったとか,直後にとったフライトが,成田 - ロンドン - ミュンヘンだったのが,福島上空を避けるために,成田 - 釜山 - ロンドン - ミュンヘンに変更になったとか.
2年
ミュンヘンに来て直後くらいに同僚に地震について聞かれたときに, "日本では地震も津波も台風も火山もその他諸々自然災害が起きるけど,日本人は1500年以上そこに住んでいるんだよね” と言ったのだけど,これって改めてやっぱりすごいことだよね.
地震からひと月も経たずに日本を離れてしまったわけだけれども,この震災後の日本の印象は,何というか,いい意味でも悪い意味でも "日本人らしさ"が目立ってたかな,と.
良かったところは,"discipline"とか表現されてたと思うけど,(全くではないにしても)暴動や略奪的なことは起こらずに避難生活が営まれきたこと.
逆に悪い点は,思想的な部分で極端に振れやすいというか,例えば原子力発電所やそれによって生じた放射線に関するヒステリックな反応. (いや,ドイツの反応もどうしてなかなか,って感じだったけど..) まぁこの辺は多分,世の中の事象は確定的に断定できることなんてなくて,所詮統計論的,確率論的にしか表現できないこととか, 局所的最適解と大局的最適解の違いがあんまり認識されていないことも問題なんだろうな,と.
未だに,当時の写真やら映像やらを見ると何となくショックで,やっぱりまだまだ"歴史"にはなってないよね.
これから
阪神大震災から復興まで10年かかったって言われてたと思うけど,今回はおそらくもっとかかるでしょう. 政権が当時の民主党から自民党に変わったわけだけれども,財政的にはあんまり明るく見えないし, 何より福島原発を何とかしないと.
なにはあっても,地道に進んで行くしかないんですよね.
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/03/2-ec65.htmlhttp://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/03/post-5680.html